フィリピンと車いじり

主にフィリピンについての情報を発信しています。また、気になった車の情報、動画も随時発信。

底抜けに明るくホスピタリティ旺盛な人々、それがフィリピンの魅力です。
物価が安くショッピング天国でもあり、安価に高級エステ体験もできます。食事も比較的日本人の口に合いますし、世界各国の料理、気軽に入ることのできるファストフード店も多くあります。
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昼は観光やマリンスポーツなど大忙しのフィリピン。すっかり遊び疲れて夜はおとなしく・・・してしまうのはもったいないです!


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で日本で使おう!

天然精油の虫よけ剤 虫よけカコーン(蚊来無) 4個セット




デング熱はいつ襲ってくるかわかりません。
デング熱はここ10年くらいの間に多くの人が感染するようになりました。
デングは熱帯しま蚊が媒体し、「マニラなどの都会で繁殖します。」
しかも昼間に活動するという厄介な蚊です。
デング熱にかかると、高熱、頭痛、関節痛、筋肉痛さらに吐き気、血圧の上昇と低下などマラリヤ以上の苦しみで、死亡する場合もあります。
・回復には数週間必要です。
・体験者によると死ぬほどの苦しみだと聞きます。
・現状はデング熱に対する特別な予防ワクチンはありません。
蚊に刺されないことが唯一の予防法です。
そこでこちらの商品、火も電気も使わない!天然精油の虫よけ剤 。虫が嫌がる天然ユーカリ精油を使用。是非フィリピンに行くお供としてお持ちください。
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2015年02月

最近ブログの更新が中々出来なくなってしまいました。

体調がちょっと悪く、来週の5日から入院。とはいっても20日から渡比
するので、なんとかそれまでには体調を少しでも戻さなくてはと思っております。
そんな訳で暫くは更新するのが遅くなります。申し訳ございません。

4月9日がまた近くなってきました。
1942年太平洋戦争の真っただ中、捕虜となった約10万人近いフィリピン、
アメリカの兵士を日本軍が長距離を歩かせ多くの犠牲者を出した、
いわゆる「バターン死の行進」が始まった日である。
この「死の行進」を一部再現する事を比国防省、観光省、そして国内旅行業者
が共催し、捕虜収容所があるタルラック州カパス町で4月11日に実施すると
発表があった。

「死の行進」とはどんなものであったのであろうか。
それは、まさに残虐行為そのものであったという。
その内容は、約100キロ先のパンパンガ州サンフェルナンド市まで歩かされた。

残虐行為の種類

死の行進における死は、あらゆる形でやってきた。最初に“自然原因”が あった。バターンの兵士たちは4ヶ月間飢餓状態の食糧しか与えられず、またバターンにはマラリアや赤痢が蔓延していた。その結果、日本軍に捕われた兵士たち の健康状態は最悪であった。脱水状態や熱射病、病、過労や負傷などが、多くの男達を行進から脱落させたが、それは殆どの場合死刑の宣告に等しかった。少人数で監視にあたった日本兵の多くは、捕虜が脱走する可能性を残すよりは、倒れた捕虜をその場で刺殺するか銃殺したからだ。あるグループは全く水を持たず、脱水状態で死亡した。同じ道を南下する日本軍のトラックやタンクが、意識的に捕虜を轢くこともあった。ある者は、トラックに乗った日本兵から通り過ぎる際に頭を打たれ、殺されたり意識を失ったりした。日本兵は捕虜を銃剣で刺したが、将校は、捕虜の首を刎ねるのに軍刀を使った。ある者は何の理由も無く殺され、ある者は監視兵が日本語で与える命令に従わなかったために殺され、さらにある者は、指輪やその他の貴重品を差し出すことを拒んだために殺された。

皮肉なことに、日本兵と戦った記念品を持っていることを見つけられた捕虜は、直ちに殺された。日本将校が、ミッキーマウスの時計欲しさに米兵を殺したこともあった。生き埋めにされた者もおり、監視兵から銃口を向けられ、仲間を殺すことを強要された者もいた。フィリピン軍第91師団の400人が、整列させられ煙草を与えられた後で、日本軍第65旅団の兵士により、大量殺害された事件もあった。これについては、後で触れる。疾病、そして行進後に起こった多くの死は、殴打、負傷者の放置、そして行進中に悪化した負傷によるものだった。休憩所の不潔さは、赤痢などの熱帯病をさらに蔓延させた。これが犯罪の種類であった。

【ジム・ネルソン「バターン死の行進」その原因の再考 より抜粋】
一方、捕虜に対する虐待があったとの米側の指摘には 
「護衛兵自身も疲労困憊(こんぱい)して、虐待行為を為すの気力も無かりしもの」と否定している。 )


私は、戦争を知らない世代で、祖母より戦争の話を聞かされていた程度。
だから、日本兵の残虐行為より、東京大空襲(私の母は東京生まれ)の話と
祖父がミンダナオで戦死した事しか知らない。



この後進は、10.5キロを歩くようである。
参加費は一人P750で、参加者にTシャツ、記念品が配られるほか
捕虜収容所のレプリカを建設する事業費や犠牲兵士の遺児たちの奨学金に充てられるという。
日本人の参加も呼び掛けている。

私は4月2日には帰国してしまうので、参加出来ないのがとても残念である。





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海外移住と聞くと、仕事の都合での海外赴任や最近ではリタイヤ後の
セカンドライフを海外で過ごす事が頭に浮かぶ。

その他にも介護移住や海外で起業する為の移住に国際結婚により
移住をする事がある。

しかし、最近のトレンドとして、あまり耳慣れない言葉ではあるが、教育移住
というものがある。それは「海外で子供に教育を受けさせること」

終身雇用の崩壊、そして就職難。東日本大震災による原発事故。
「このような日本の未来を子供に託しても良いのか」という思いを持つ親が
増えてきているようである。
現実問題今の日本の教育が世界で通用するかといえばNOである。
グローバルな目でみれば、英語教育は必須である事は事実。

そこで、物価の安いフィリピンに人気が出てきているようである。

それでは、この前の続きとして、実際フィリピンと日本とでは学校にどんな差があるか
お伝えしたい。

まず、義務教育。
これは日本では、小学校6年間と中学3年間の計9年間。
対してフィリピンは、基礎教育といい、9年間が一貫教育となっている。
まれに、ケソンにあるフィリピン大学付属学校のように、幼稚園から12年間一貫教育
もある。(12年生は日本では高校3年生)

学校には、フィリピンの一般家庭が通うパブリックスクールと、富裕層や外国人の子供が通う
プライベートスクールとがある。

新学期は6月からで、日本と違い2学期制である。
一学期は、6月から10月まで、2学期は11月から3月まで。4月と5月が夏休み。
時間割はだいたいの学校が同じで、投稿は朝7時30分。そこからフィリピンの国歌や
校長先生の話があり、8時から授業が始まる。
時間は8時から10時00分まで授業をして、30分間ミリエンダ(フィリピンのおやつ時間)
10時30分から12時まで授業。
昼食は、個々に取る事になる。家に帰る子もいれば、近くで食事をとる子もいる。
お金が無い家の子はだいたい家に帰る。
ごごは13時から16時まで。
教科は7教科で、フィリピン語、英語、理科、算数、社会、音楽、体育が基本で、グレード1
(小1)からこれらの教育が始まる。
これらの授業を専門の7人の先生が行う、日本のように担任がすべてを行う授業とは
違い、小1から専門の先生に授業をしてもらえる。

ここまでは、パブリックでもプライベートでもほぼ同じである。

それではパブリックとプライベートでは何が違うのか。
まず授業料。
1か月の授業料で話すと、プライベートが1年P20,000~P30,000パブリックがP1,000
これが平均的な金額。勿論高い授業料のプライベートスクールもある。例えば
年P500,000とか。(パンパンガだとP1,8000だけの学校もある)
こんな感じが日本で言う義務教育の学校。
プライベートスクールでも日本の公立の小中学校より、だいぶ安い。日本だと毎月給食費
そして、学級費が徴収され、1月1万円はかかる。年で言うと10万以上が義務教育で
最低かかっている事となる。

それ以下の金額で、英語も習得できる。日本では塾に行かなければ、まず世界に通じる
英語を身に着ける事など不可能。
これが魅力の一つとなっているようだ。

それでは、実際どうやって教育移住すればよいのかをまた今度記したいと思う。


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前回の続きの前に気になる記事を発見したので紹介したい。

作成に成功したのは、アメリカにあるローカルモータースのいう会社。
まずはその工程が早送りで見られる動画をご覧頂きたい。



動力はEVで最高速度が40Km/h
ボディーはABSとカーボンをまぜた物らしく、ボディー完成まで約44時間。
恐るべき時代が来たものである。

詳しくはこちらのHPで紹介しているのでご覧ください。
3Dプリンターカー

以前3Dプリンターを使って拳銃を作成して捕まった事件があったが、こういった
夢のあるものが作られる事は、非常にワクワクしてしまう。

最期にこちらがローカルモータースのHPである。もちろん英語。
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日本の経済状況はどうだろう。
アベノミクス効果で景気が上向いてきたと一般庶民も感じられるだろうか?

最近あまりニュースでこういった話を耳にしなくなってきた。

急激な原油安となり、そしてこれまた急激な円安。

大手輸出企業がウハウハなのは言うまでもない。

しかし実際、スーパーで買い物をすると、軒並み値上げラッシュが見られる。
ほんの数円の値上げがチリも積もればで、支払時に前よりなんとなく高くなった
事に気が付く。

そんな日本の経済とは裏腹に、景気が毎年上昇しているのがフィリピン。

 農林水産、公共事業、輸出、鉱工業など主要産業の多くが、
成長が鈍化した第3四半期から回復し、通年のGDP成長率は6・1%となった。
過去5年間の成長は、年間9%台に迫る成長を継続していた1970年代以来の規模という。

しかし、国家経済開発庁(NEDA)のバリサカン長官の話では、
経済効果が貧困層にまで波及するには、20年間は同じくらいの高成長を
継続させなければならない現実があると認めた。

それにはインフラの整備を高く上げている。それにより農村部まで発展が見込めるし
インフラ整備は物流の改善や、生活必需品の物価安定にもつながる。

そう、今まさに日本の高度成長期にあるのがフィリピンである。
日本が辿ってきた道を歩み始めたのである。

メトロマニラの高層ビル建設ラッシュを見ると、10年前では考えられなかった。
metro-manila


今、フィリピンの平均年齢は23歳と若く、さらに首都圏の人口は上海を上回る。
まさに、今お金を貰うからお金を生む に転換し始める時である。

フィリピンの主な産業は電子機器産業。そしてフィリピンには電子機器受託生産
サービス(ems)企業が沢山ある。その多くが日系企業と取引があり、経営多角化
を進めている。
日本企業が今海外進出をするのに、フィリピンを選ぶ企業が増えてきている。
それには豊富な人材と、若い世代の多さ。
そして、アジア圏の中ではホスピタリティーが日本人に近いのだ。

日本ではもう少子高齢化でこの先どうなるか見込みが立たない。

そんな中、子供の未来を考えて、今フィリピンに留学では無く、移住をし始める
家族が増えているという。
教育現場は今フィリピンのほうが進んでいるのである。(プライベートな学校)

次回はフィリピンの学校と日本の学校の違いを紹介したい。
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